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父と子の情景 光と闇の狭間で ラ・トゥール


 

夜のとばりの中で浮かび上がる老人と子供。部屋全体を明るく照らすことの出来ない蝋燭の炎。大工仕事の手元を少しでも明るくしようと子供はその小さな手を蝋燭にかざす。光のわずかな変化に気づいた老人は蝋燭と子供に視線を移す。仕事に打ち込んでいた厳しい職人の顔から、いままさに笑顔がこぼれようとしている。炎の一瞬の揺らめきに展開される刹那の情景が、愛情と思いやりに満ちた心象風景に昇華する。「これは絵画の奇跡なのか?」ラ・トゥールのこの絵を見た時の最初の感慨を懐かしく思い出す。芸術作品に対する素直な感情を取り戻す術を模索して、私は再びこの絵の前に立つ

「大工の聖ヨセフ」と題されるこの作品は忘れ去られた画家ラ・トゥールの再評価を決定づけた彼の代表作である。ヨセフ信仰は宗教改革に対抗するため、イエズス会やフランシスコ会を中心に広められた信仰で、大工ヨセフは聖母マリアの夫として、イエスの義父として(イエスは神の子なのでヨセフは義父となる)苦難と葛藤を乗り越え家族を守りとおそうとした気高き聖人として賛美された。ヨセフが穴を穿とうとしている木材は十字架を暗示しており、神の子イエスが発した言葉に、将来の苦難を感じ取ったヨセフが、不安げなまなざしをイエスに向ける。作品解説の多くが、そう記している。卑近な親子の情愛のみに心動かされた私の感性は、蝋燭の炎の先の煙のように霧散し、宗教的なテーマが喉元に突きつけられる。初老の義父と初々しい幼子。深く刻まれた皺に宿る、人間としての尊厳と生まれながらに備わった神の子としての威光。抒情溢れるキアロスクーロによって演出された父子のひとときが永遠のものとなる。敬虔で慈愛に満ちた主題、巧みな筆さばきに圧倒されながらも、私の心はこの作品から離れていく。

ジュルジュ・ド・ラ・トゥールはロレーヌ公国で生まれ活躍した。その小国は西のフランス王国と東の神聖ローマ帝国に挟まれ、二大強国の戦場となり、ペストの流行にも晒された。戦禍と疫病禍のなかでも、ラ・トゥールは画家として頭角を現し、フランス国王に取り入りながら、狡猾に世を渡ってきたようである。また金品に強欲で、税金の支払いを拒むなど、吝嗇家であったとの記述も見られる。しかし、とある美術番組を見て、私の評価は一変する。「大工の聖ヨセフ」は作者自身と、その息子エティエンヌをモデルにしているのではないかという。ラ・トゥールは10人いた子供たちのうち7人を次々とペストで亡くした。残った3人のうち、息子のエティエンヌが父の後を継ぎ画家となる。その頃にこの絵は描かれた。すべてが腑に落ちた。蝋燭を手にする子供の目に宿るのは、職人たる父への信頼と誇り。そして炎を映す父親の瞳は、同じ道を歩み始めた息子への期待と、その道の厳しさをも物語る。宗教的な主題を借りて、画家が描きたかったのは、やはり父子の愛情ではなかったのか。ラ・トゥールはバロックの巨匠としてもっと大きな尺度で鑑賞し、評価されるべき画家であろう。しかし、私は自分なりの解釈が気に入っている。ラ・トゥールが私の元に戻ってきたのだ。強欲で吝嗇な人となりも、有漏路に迷う私にはむしろ好ましい。






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