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アポリネールの高笑い アンリ・ルソー





「眠るボヘミアンヌ」。アンリ・ルソーの代表作である。この絵をどう言葉に表していいのか私には分からない。何度も試み、その度に表現力の無さに失望する。そして再び私は同じ轍を踏もうとしている。

 対岸の丘の上には月明かりの夜が広がっていて、平板な月が笑っている(実際ルソーは顔を描いている!)。月影に映える水面は、画面を下三分の一のところで水平に分かつことにより、構図に安定感をもたらす。と同時に、近景と遠景を繋ぎ、遙かな奥行きを与えている。中央には、ルソーにしては均整のとれたライオンが堂々と描かれており、黄金のたてがみが、乾いた風を受ける。かっと見開かれた眼は、我々に見られている事に、いままさに気づいたというような驚きの表情を浮かべている。何よりも印象的なのが、手前に描かれた眠れる少女だ。色鮮やかな衣装を纏い、健康的な褐色の肌が美しい。仰向けで寝ているのか、横向きなのかそれさえも定かではない。下になっている左腕は何処に描かれているのだろう。杖を握る右腕も、不自然に力が入っていて寝ているときの姿態ではない。決して写実的ではない、むしろ稚拙に描かれたこの少女の実在感はどこから来るのか。 ルソーの絵には、どの作品にもこの種の実在感がある。それは類い希な色彩感覚と、それをキャンバスに描ききることが出来る愚直な集中力に他ならない。笑う月とライオンは少女の刹那の夢なのか、それとも我々を詩情と幻想に誘う永遠のモチーフなのか。この絵が描かれた1897年はルソーにとって辛い年であった。9年前、妻に先立たれ、3年前、娘は貧困に耐えかねて親類の元へ去り、傍らにいた最後の肉親である息子が病で亡くなった年である。百獣の王は少女を襲うことはない。昼間彼女が奏でたマンドリンの響きと美しい歌声が、そばだてた耳に残っているのだから。そして少女は猛獣の気配で目覚めることはない。疲れた心と体を癒すために、今は眠りが必要なのだから。 日曜画家であったアンリ・ルソーは税関吏を辞し49才で職業画家となった。画家としての基礎的な技術は当然身につけておらず、作品発表の度に子供の絵のようだと揶揄された。しかし、自身の絵に対する絶対の自信は揺るぎなく66才に亡くなるまでの17年間、ひたすら絵を描き続けた。誰の絵に影響されることもなく、小難しい芸術論とも無縁であった。同郷の小説家ジャリや詩人アポリネールと知り合い、ピカソなどの新進の画家とも交流があったが、彼らの芸術には無関心であった。

アンリ・ルソーは素朴派とされ、子供の様な絵が心を和ませると思われがちだが、はたしてそうだろうか。子供は素朴で純真といわれるが、彼らなりに思考を巡らし、時には狡猾に計算高いこともする。子供の特権を逆手にとって、意識的にあるいは無意識のうちに手前勝手な自己主張をしたり、媚びたり、甘えたりする。その意味ではルソーは大人になりきれなかった子供と言えるだろう。しかし、その芸術性は素朴という画一的な表現で片付けられるものではない。色彩表現は古今の巨匠に比肩しうるものであり、独特な詩情溢れる主題は唯一無二のものである。「だから言ったでしょ。」アポリネールの高笑いが聞こえる。






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