スキマde美術館 本文へジャンプ


アルプスに楽園をみる。セガンティーニ







 

私には夢がある。パリ、オランジュリー美術館「睡蓮の間」で一日を過ごし、翌日スイス、サンモリッツのセガンティーニ美術館「アルプス三部作」の前で残りの1日を費やす。その至福の2日間の為だけに、航空券を買い、ホテルを予約する。絵画鑑賞ではなく、絵の中に吸い込まれ、絵に見つめられる感覚。夢が現実になる瞬間。現実を夢のように感じる刹那。天上(天井)の光を浴び、そこで私は何を体験するのだろうか。

二つの図版は「アルプスの真昼」という同名の作品。左は件のセガンティーニ美術館所蔵。空気の希薄なアルプスの大地に、微粒子のように降り注ぐ初夏の陽光。牧杖を手にした青衣の少女は、きりりと背筋を伸ばし、まばゆい青空を遮るように麦わら帽子のつばを掴みながら、遅れてくる山羊に気を配る。雪を残した山々は、天に聳えるのではなく、自らの立つ高原の延長にあり、雄大であると同時にごく近くに感じられる。左上に描かれた小鳥は吹き過ぎるさわやかな風に舞う。この作品が「風の吹く日」という別名で呼ばれる所以。右の図版は倉敷大原美術館所蔵の作品。厳しい自然に抗いながら、たくましく自生する樹木。その水平に伸びた幹に寄りかかり、少女はしばしの休息をとる。視線を落とした先には、人なつっこいお気に入りの山羊が寄ってきて、風のない乾いた空気を鳴き声で震わせる。季節は夏の直中にあり、遠くの峰には、残雪が次の新雪を待つ。両作品とも、セガンティーニの分割描法(ディビジョニズム)で描かれており、その頂点をなす傑作であると思う。スーラーの点描とは異なり、輪郭はあくまで明瞭で、発色も類い希な彩度が保たれている。透明な空気感だけでなく、高山特有の紫外線の強さまで表しているように思える。

セガンティーニはイタリアのアルコで生まれた。5歳で母と死別し、7歳で父に捨てられた。異母姉の元で暮らした日々、貧困にあえぎ愛に飢えた惨めな少年期。絵画の才能に目覚め、ブレラ美術学校に入学するも、頑なな性格が災いし退学となる。セガンティーニの絵は、「アルプスの真昼」のような極めて明るい色彩の作品から、暗く沈んだ作品まで幅広い。家族の愛情を細やかに描く一方で、「悪しき母親たち(嬰児殺し)」のような肉親の凄惨さをモチーフとした。それは求めるものと与えられるものの乖離に翻弄された暗い生い立ちによるものであろう。独特の技法は美術界に受け入れられ、名声も高まったが、何物かに憑かれたように高地へ、高地へと居を移した。アルプス三部作、「自然」が完成間近となったある日、突然病に倒れた。羊飼いのモデルとなったバーバが麓まで医者を呼びに行ったが、間に合わず41歳で世を去った。奇しくもアルプス三部作、「死」が未完の遺作となった。

夢のつづき。ソルダネーラ・ホテルから美術館までのセガンティーニの道をそぞろ歩く。季節は冬がいい。自分の人生を振り返る、サクサクと雪を踏みしめながら。





目次へ戻る / 前のエッセイ / 次のエッセイ